田辺聖子『週末の鬱金香(チューリップ)』【心が温かくなる短編集】

やさしく 温かく

田辺聖子さんは生涯でいくつ小説を書いたのだろう、、多分、数え切れないほど。

若い時から田辺さんの小説のファンだった。

市井しせいに生きている普通の人たちが主人公で、スラスラと何の苦もなく読める。

あまりに読みやすいため、簡単に思えるが、どっこい、物事の真髄がやさしい言葉でさらっと書かれていてドキッとさせられたり、その通りだな、と思わされたりする。

読後はいつでもふわっとやさしさに包まれて、心が温かく、軽くなる。

『週末の鬱金香(チューリップ)』は6編の短編集。年齢、職業、生活それぞれ違う6人の女性の恋のお話。

いくつになっても恋する気持ちがあること、心が寄り添う瞬間があること、時には快活でスピード感ある、また、時にはやさしくまったりした大阪弁で語られます。

タイトルの漢字が美しいです。

そのうち3編の感想を書いてみようと思います。

冬の音匣  (おるごおる)

私(浦川)は、大阪の中心地で働いている28才のOL。

炉端焼き屋で初めて森中に会った時「ぼくは電気工事屋で、手ェに職があります。よう働きます。」と口説かれて、3回目のデートで京都へドライブしている。

森中は、最初から私に”どかん”ときたらしい。

2回目の炉端焼きデートで、二人は将来の夢について話した。

私は、クリスマスのニューヨークへ行くのが夢、と言った。

と、森中、「よしっ、それ、やろやないけ」「新婚旅行にいこやないか、いうてるねん」と強引にプロポースしてくる。私としては、プロポーズはもっとロマンを、と、炉端焼きやではなく という感じだが、、、。

私は「じわじわ、好み。じわじわと好きになる」とか言いながら、実は、森中に会った時、ちっちゃく、どかんした。

ーーこんな二人のお話ですーー

二人の快活でスピードのある大阪弁のやり取りが楽しい。

そのドライブの帰りに2つの出来事が起きます。

車の中で1つ、森中君のアパートについてから1つ。

この2つ出来事に、浦川さんは ”どかん” と心を揺さぶられます。

そして、浦川さんの心は決まります。

森中君、まっすぐで、とびっきりの可愛げと頼もしさを備えた好青年。

浦川さんも、素直で、自分の頭で考えて判断できる賢い女の子。

田辺さんの小説によく出てくる、素直で明るくて応援したくなる、そんなカップルです。

二人のエネルギーと明るい未来を予感させる、清々しい一編です。

夜の香雪蘭 (フリージア)

私(左以子)は58才で、40代の半ばからと友人とアパレルの会社を経営している。

石田(60才)はこのあいだ、妻の3周忌の法事をすませた。彼の妻の美加子は私の従姉。

石田から「左以子さんに会いたいな、いやべつに用はないねんけどな、いつか、晩飯でもどやろ」と電話があり、「いっそ、うちにこない?」と私が家に呼んでーーーというお話です。

おつまみは、私が住んでいる古い商店街のお店の手作り、1こ五十円のコロッケや、できたての蒲鉾、揚げたての天ぷらなど(美味しそうですね!)

”女の人が手料理や何や言うのを” 石田も私も「好かんねん」ということで。


二人の会話の合間あいま、合間に、現在と過去を自由自在に行き来しつつ、左以子さんの生い立ち、石田さんの亡くなった妻(美加子)のことや、美加子さんとの関係、仕事、過去の恋、石田さんへの思いが語られます。

この小説の真骨頂は、左以子さんと石田さんの柔らかな大阪弁の会話だと思います。

それから、左以子さんの心の描写。

二人は、知り合って四十年近く経っています。

二人の会話は、コロッケの話から、深い話まで、さりげなく軽く行きつ戻りつします。

二人の間には特に何も起きません。均衡がこわれないように、細心の注意を払っています。

石田さんの気持ちは書かれません。でも、左以子さんとのおしゃべりを心から楽しんでいます。

帰り際、石田さんは「人生論いうほど大げさなもんやないけど、左以子さんとそんなこといえてよかった」と。

そして、石田さんを送って、左以子さんが部屋に戻ってきた時、フリージアが強く匂います。

田辺聖子さん、本当にすごいなぁ!

深いことがさらっと書かれていて、、。

特にとても心に残る二つのセンテンスがあります。が、ここでは書かずにおきます。

せつなく、やさしい、大人の恋のお話です。

卯月鳥 (ほととぎす)のゆくえ

卯女子うめこは、両親を見送り、大師町だいしちょう市場の端っこにある「辰野荒物屋」をひとりで切り盛りしている。

六十の声を聞いてうわの空のような、心もとないおもいで生きている。

(死にたくはないけど、いつ死んだっていいわ)(いつ死んだっていいど、死にたくはないわ)というフレーズが頭でひびいたり、、。

雨の日に、場違いなスーツを着た六十をすぎたと思える男が立っていた。

その男は、雨宿りをしながら「ぼく、ここで働いたこと、あります。学生の時ですが」と、ひとなつこく話しかけてくる。

でも、卯女子は、人ぎらいが高じて、しんどくなっている。

卯女子は、近くの風呂屋「大師湯」を出ると、市場近くの大衆食堂「みつわ」へ夕ごはんを食べにいった。

そこに昼間の男がいた。卯女子のテーブルに来て、上垣寛二と名乗る。

上垣は、市場は活気があってよろしいな、と、うれしそうに、打ち解けて話す。

「おたくは?」と聞かれて、「辰野卯女子 いいます」と名乗る。

「卯女子さんも、変わらへんなあ、、、」「変わってはらへん、きれいです」

上垣は、市場が懐かしい、楽しいと滑らかに一人で話している。

卯女子は言葉少なに受けこたえながらも、昔の市場の活気を思い出したりしている。

お勘定の時、上垣が眼鏡をかけた横顔に、卯女子は(いたいた、この人)と記憶がよみがえる。

家に戻ってから「変わってはらへん、きれいです」を思い出したりします。(女心ですね!)

翌週もその翌週も、水曜に上垣は市場にきて、二人で食事をして会話します。

卯女子もだんだん打ち解けていきます。会話の楽しさに心がみちたります。

『京都の山の中にほととぎすの鳴くの聞きに行きませんか?』という約束をするのですが。

さて、卯月鳥(ほととぎす)はどこへいったのでしょう。(これは小説を読んでください。)


これも、味わい深いお話です。

卯女子さん、物語のはじめ、疲れた、ちょっと投げやりな表情で登場します。

上垣さんは、そんな卯女子さんにひるむことなく話かけ、本当に懐かしくて仕方がない、話ができるのが楽しいということを隠しません。

四十年経って、六十才になって、上垣さんは、もう時間がたくさんは残っていないとわかっているから。

そんな、上垣さんに卯女子さんもしだいに打ち解けて心を開いていきます。

その繊細な心の機微を、二人の会話を中心に、市場が繁栄していた時代の回想も交えて、田辺さんの筆は、軽々と描きます。

そして、最後、卯女子さんは、”大師町市場がいつまで存続するかわからないが、続くかぎり、元気なかぎりは荒物屋のおばちゃんをやっていこう” と気力を取り戻しています。


まとめ

改めて、3編の要約、感想を書こうとして、ついつい最初から最後まで読んでしまう、さらさらと何の苦もなく、、。

そして、引用を始めると止まらなくなります、、会話は楽しく、食べ物は美味しそうで。

田辺さんの小説は癒しですね。その源は、圧倒的な、肯定力なのでは、と思いました。

全ての人に対しての目線がやさしいです。

登場人物たちが、それぞれこの世界の片隅のどこかで暮らしているような気がします。

お読みいただき、ありがとうございました。

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