空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外に部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
谷川俊太郎詩選集1
『六十二のソネット』より 1953
41
谷川俊太郎さんの詩。
最初の二行に引き込まれます。
言葉そのものは、日常でも聞いたり使ったり普通の言葉なのに、
この二行の響きに
心がすーっと別の場所に連れて行かれる気がする。
日常にいながら、ほんの少し違う場所にいける
そんなことばや詩が じぶんの近くにあることのしあわせを
思い出しました。
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
谷川俊太郎詩選集1
「祈らなくていいのか」より 1968
朝のリレー
時空を超えて
交差する グッナイ と グッモ
よい夢と
よい朝を
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