夏目漱石『坊ちゃん』感想【日本の学園ドラマの原点がここにある】

『坊ちゃん』は明治39年(1906年)に「ホトトギズ」に発表された夏目漱石の小説です。

漱石が高等師範学校の英語教師として、愛媛県尋常中学校(1895年4月から1年間)に赴任したときの体験を元に書かれています。

小説は読んだことがなくても、テレビドラマとして放映されたのを見たことがある方も多いと思います。

概 要

主人公の「おれ(坊ちゃん)」の一人称語りの小説。

タイトルの『坊ちゃん』とは、下女の「きよ」が主人公のことを呼ぶ名で、小説のどこにも主人公の名前は出てきません。

坊ちゃんは、小供の時から無鉄砲でいたずらを大分やるような子で、父親にも母親にも兄にも愛想を尽かされていた。しかし、ただ一人下女の「清」だけが「あなたは真っ直ぐで良い御気性だ」と賞めてくれ、とても可愛がってくれた。自分の小遣いでおまんじゅうや色々な物を買ってくれて、そして、坊ちゃんが家でも持って独立したら、どうかおいてください、と繰り返し頼んでいた。

母親は坊ちゃんが小供の時に亡くなり、父親も6年後に亡くなった。兄は学校を卒業していたので仕事で九州に行ったが、坊ちゃんは中学校を卒業したばかりだった。兄がくれた六百円で3年間、物理学校に通った。卒業した時、校長の紹介で四国にある学校に赴任することになる。

清は、父親が亡くなって家を畳んだ時に甥の家に移っていた。坊ちゃんは、度々清を訪ねた。四国へ行くことになり、出立の日に、清は朝から来ていろいろ世話を焼いてくれ、目に涙をいっぱいためて見送ってくれた。

こうして、坊ちゃんは、東京から離れた四国の田舎町の学校に赴任して行きます。そこでの人間模様、起きる様々な事件の物語です。


日本の学園ドラマのモデルがここにある

『坊ちゃん』は明治の『痛快学園青春ドラマ』だと思います。

一言で要約すると、新任教師が地方の学校に赴任し、様々な出来事に遭遇し、旧態然としている学校と闘う話。赴任した早々、坊ちゃんは教師たちにあだ名をつけます。このあだ名が秀逸で、登場人物のキャラクターが際立ちます。

赤シャツ:教頭。東京帝国大出のエリートの文学士で、いつもフランネルの赤いシャツを着ていることから「赤シャツ」と名付けます。「坊ちゃん」が表の主人公なら、「赤シャツ」は、裏の主人公、と言えます。主人公を魅力的に見せるためには、それに相応する、力のある敵役を持ってこなくてはなりません。赤シャツが実質学校の権利を握っていて、坊ちゃんの宿敵(?)として立ちはだかります。

野だいこ画家の教師で芸人風。べらべらした羽織と扇子を持ち「お国はどちらでげす?」など聞く人物。赤シャツに、金魚の糞のようについて、おべんちゃらを言う太鼓持ちのような風情なので「野だいこ」。学園ドラマお馴染みのキャラですね!坊ちゃんは、もう”野だいこ”とも呼びません。心の中では”野だ”と呼んでいます。

うらなり:英語の教師。大変顔色が悪く、痩せて蒼く、しかし膨れている。「蒼くて膨れた人」はうらなりの唐茄子ばかり食べているから、と清に教わったから「うらなり」とあだ名をつけます。このうらなり先生は、真面目で誠実ですが、おとなしく、自分を強く主張できないタイプ。そんなうらなり先生が付き合っていた’マドンナ’を赤シャツに取られて、本人は地方の学校に赴任することになるエピソードが出てきます。それに関係して、後半「坊ちゃんと山嵐」が「教頭と野だ」と闘うことになります。

:校長。事なかれ主義の陰の薄い校長。

山嵐:数学の教師。逞しい毬栗坊主で、アハハと豪傑に笑う。教頭の言うことにも異議があれば真っ向から意見を述べることができる熱血教師。正義感が強く、坊ちゃんと一緒に、赤シャツたち権力側に立ち向かっていくことになります。

これって、日本の学園ドラマに登場する先生たちの一つ典型的なパターンですよね。校長の影は薄く、実権を握り新任教師に立ちはだかるのは教頭。その教頭には、家来のように追随している”野だいこ”のような教師が必ずいる。

思わず『坊ちゃん』もそのパターンですか?と言いそうになりますが、違うのです!逆なのです!

夏目漱石の『坊ちゃん』こそがオリジナル、本家本元なのです。これをモデルに、時代に合わせてアレンジして、魅力的なキャラクターを誕生させ、たくさんの日本の学園ドラマが作られてきたように思います。

例えば『ごくせん』『ドラマドラゴン桜』など、どうでしょう?

もちろん、小説『坊ちゃん』も、その時代の旬な俳優たちをキャスティングして、何度もドラマや映画として制作されてきました。


夏目漱石は「江戸っ子」である

親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている』この有名な一文から始まる漱石の文体は、簡潔で歯切れの良いリズムとスピード感にあふれています。そして、それぞれの場面が、まるでドラマを見ているように映像として浮かび上がってきます。

100年以上前に書かれた小説とは思えない、全く古くありません。この文体を読んだ時、漱石は「江戸っ子なんだ!」とわかりました(笑)。

文庫本の解説者、江藤淳氏によると、漱石は驚異的なスピードでこの小説を書き上げたとあります。『坊ちゃん』の原稿は保存されているそうで、執筆期間は約1週間~10日ほどと推察できるそうです。仮に10日としても1日平均400字詰原稿用紙20枚強が執筆され、また、後からの手直しもほとんどないほどの完成度だったようです。漱石は、一気呵成いっきかせいほとばしるようにこの小説を書き上げたのでしょう。

以前に感想を書いた『道草』とはかなり違うトーンで、漱石もこの小説を書くのを楽しんでいたのではないかと想像します。

読んでいると100年前も今もあまり変わっていないかも、と思うような場面もたくさん出てきます。

例えば、赴任先は田舎で、新参者の坊ちゃんは、何かと噂の的になります。学校の帰りに、団子を食べても、蕎麦屋に行っても、温泉に行っても、翌日教室の黒板に書かれています。坊ちゃんはうんざりです。「狭い土地はうるさいものだ。なんでこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情けなくなった。」とあります。(その気持ち、わかるなぁ!)

また、坊ちゃんが初めて宿直をした夜、寄宿生たちがうるさく騒いだ挙句、バッタを寝床に入れるといういたずらをします。その処分について職員会議が開かれた時の様子なども、今も変わらないのでは?と考えさせられる場面です。


清」の存在

清は100%坊ちゃん側にいます。いつでもどんな時も坊ちゃんの味方で、身を案じ幸せを願っています。清がいたから、真っ直ぐに生きてこられた。

坊ちゃんもまた清のことを思っています。赴任先での心が折れるときは、清を思い出します。珍しいものを食べたら、清にも食べさせてやりたいと思い、手紙を書くのは面倒だと言いつつ、手紙を書いて返事を心待ちにしています。下宿のおばさんには、恋人の手紙を待っていると勘違いされるほどに。

最後、坊ちゃんは山嵐とともに、教頭と野だいこに挑んで、表面的には少しは勝ったように見えますが、実際は二人は学校を辞職することになります。学校はこれまでと同じように、赤シャツや野だが力を持ったままで変わらないということです。

しかし、東京に戻ってきた坊ちゃんは、ようやく娑婆に出たような気がします。着いてすぐに清に会いに行くと、清は涙をぽたぽた落として喜びます。東京で仕事を見つけて、小さな家を借りて一緒に暮らします。清は夢が叶った後、肺炎にかかり亡くなります。死ぬ前日に「後生だから清が死んだら坊ちゃんのお寺に埋めてください。お墓の中で坊ちゃんが来るのを楽しみにしておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」で小説は終わります。

坊ちゃんには、清という帰る場所があった、心から安心できる場所がありました。親兄弟にはうとまれたけれど、清がいました。『坊ちゃん』と言う小説の底辺にある安心感は、清の存在があるからなのかと思います。

『坊ちゃん』は楽しく読める小説でした。まだの方、漱石の江戸っ子弁語りをぜひ体験してください。

お読みいただきありがとうございました。

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