「性善説」でも「性悪説」でもなく【性弱説】:新しく知ったことばについて考える

今日は、先日知った新しいことば【性弱説】について書いてみます。

【ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)】の「今日のダーリン」(糸井重里さんが毎日書いている文章)で、『性弱説』という言葉を初めて知りました。書かれていた内容を詳しくは覚えていませんが、強く印象に残ったことばと記されていたと思います。

『性善説』『性悪説』は聞いたことがあります。大雑把にいうと、人間の本来の性質を”善”と捉えるのが「性善説」で、”悪”と捉えるのが「性悪説」ということだと思います。しかし、どちらなのか?と考えたことはなく、どちらとも言い切れないが、状況や立場によって、善の時もあれば、悪の時もあるということなのかな?ぐらいに思ってきました。

『性弱説』にガッテン

しかし『性弱説』ということばを初めて聞いて、ガッテン!と思いました。『人間は弱いものである』とはよく聞く言葉で、同じ意味ですが、本質として『性弱説」と一言で言われると、なるほどと思いました。日々起きる色々な問題は、人が本質的に『弱い』ことが原因の一つかもしれない、と思えてきました。

ネットで『性弱説」の考えを元に、従業員が間違った行動をしないためのシステムを作っている企業もあるという記事も読みました。人の精神力だとか善悪の感情を当てにせず、システムを作るというのは、とても正しい方策に思えました。

意志の力に頼っても無理、システムで対処や準備を!

日々の生活で、いい習慣(例:早起き、毎日運動、英語の勉強、等々)を実行できず、悪い習慣(例:スマホを寝る前に見る、後回し癖、ダイエット中なのに間食する、等々)を止めようとしても、なかなかやめることができません。こういうことは、誰しも経験があると思います。 

そういう時『意志が弱い』と自分を責めたり自己嫌悪になったりしがちです。でも、元々人は『性弱」なのだから、それらは全て想定内のことだと分かっていたら、自分を責める必要はないのです。元々組み込まれている性質だとしたら、あらがううことは難しいです。

だから、もし良い習慣をつけ、悪い習慣をやめ、悪いことの誘惑に負けないためには、『性弱』という本質を認めた上で、自分なりの『システムを作っていくこと』が必要なのだろうと思います。

今は「システムを作る」ためのヒントが書かれた多くの出版物があるし、ネットにも様々な情報がありますね。

人間は『性弱』と知っていれば、人に過剰に期待しない

日々暮らしていると、理不尽な目に遭ったり、ひどいことを言われたりして、傷つくことがありますし、自分も人に対して、ひどいことを言ったり、傷つけたりすることがあります。

それって、もちろん色々な原因があるとは思いますが、1つは、知らず知らずのうちに、人に期待しすぎなのかもしれないと思います。他の人も自分自身も、正しく行動するもの、約束は守って、誠実に対処する、等々と思っているから、その期待に沿わないとイライラしたりするのではないでしょうか?

元々、誰しも『弱い』との前提を持っていれば、人にも自分にも多く期待しすぎることはないかもしれません。これは決して、人が信頼に値しない、と言っているわけではありません。

まとめ

『弱くて、間違ったことをするのが人である』という本質を覚えておくこと。これは決してネガティブな意味ではありません。『人は必ず死ぬ』と同じように事実だと思います。そのことを心の片隅に覚えておいて、日々暮らしていくと違って見えてくるものがあるかもしれないと思いました。少し意識してみようと思います。

『性弱説』初めて知ったことばで、とても印象に残ったので考えてみました。みなさんはどう思いますか?

お読みいただきありがとうございました。

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